ペーパードライバー②の続き
保育園に行く途中、3車線の大きな国道から側道に入ると1車線になる道だった。
娘がぐずり始めて、とうとうチャイルドシートを抜け出し、運転席の私のところまで一瞬でやってきた。
息子に捕まえてっていうよりも先に、私が握ってるハンドルをつかんだのである。
無我夢中で車をぶつけないようにし、息子に押さえつけてもらって保育園の駐車場へ到着。
私自身、もう脱力して、動けなくなってしまった。
その後、保育園の教室にいき、こどもたちをお願いして保育園を後にしたのだろうけれど、私の記憶はぷっつりとない。家にも運転して帰ってきてるのだけれど、どうやって運転したか誰にどう説明したのかも覚えがない。
この次の日から運転が出来なくなってしまった。
これが7年前である。
最悪な印象のまま車に乗れず、7年が過ぎてしまった。
そんな私だったけれど、少年サッカーの母軍団は優しく聞きいれてくれ、快く助手席に乗せてくれた。遊びに行くときも、迎えにきてくれるほどだった。ありがたかった、足を向けては寝れません。
でも、やっぱり運転したいんだ。
人にお願いしますと頭を下げずに、運転して自分の人生過ごしたいんだって、ずっと心の底では思っていた。みんなができることがやっぱり出来るようになりたいんだ。
2022年のお正月、実家にいきみんなで食事をしていたところ、実母がいきなり言い出した。
「doremiの運転で買い物に行きたい、乗れるようにしなさい」
私の人生はいつも母の一言で決まる。毒親といえばそうなるかもしれないが、背中をおしてくれていると解釈している。いつも金言をありがとうと、母を喜ばせる私でいたいとおもってしまう、いい子ちゃん。40代になっても抜けきれません。
もう今度は車を降りることはないように、もう出来ない自分に戻らないように、どうやっていこうかなとロードマップというほどではないけど、準備をし始めた。